昨日は夕方のニュースを眺めていたら奄美などは既に梅雨が明けたということで、自分の住む東海地方の梅雨入りした6月第1週の終わりから見ても、前半はカラ梅雨模様で梅雨っぽくなかったものだから、今降る雨を眺めては「これから暑くなるのかぁ」と、雨に対してよりも憂鬱な気分になります。
この数年、梅雨の時期は紫陽花の写真を撮るのが毎年のこととなっていて、ただ今年は前述のように雨がなかったから青空を背景にしてアオリで撮っていて(これはこれで面白いけど)、でも「梅雨が明ける」と聞くとやっぱり雨に濡れてシトシトな紫陽花をべったべたな構図で撮りたくなってしまうのは、もうそういう病気として受け入れる他なさそうです。そもそも本格的に写真を始めて初めてマトモに撮れた被写体が紫陽花であって、自分にとっては花としても被写体としても思い入れがあるだけに、休みの日に雨が降るなら今年も梅雨の明けないうちにもう一度二度は撮っておきたいものです。
気分は気分として(季節の変わり目ということで)体調も変わってきていて、例年通り食欲減退を始め倦怠感を抱いたりと所謂夏バテになりかかりの状況なので、土用の丑の日間近で混み合う前には鰻丼なりひつまぶしなり食べに行きたいところですね。
昨夜、友達との飲み会の待ち合わせで栄に行ったのですが、サンシャイン21の西側の歩道でラジカセか何かで音楽を流しながら、それに合わせて手で足で打楽器を打ち鳴らす30そこそこでがっしりした体型の厳ついお兄さん系パーフォーマーがいた。大きな音を鳴らして目立っているということもあり、その前を指定場所として待ち合わせの相手を待つ間、お兄さんのパフォーマンスを見ていると、当然往来を行く人の行動も目に留まるわけですが、大概みんなスマホで撮影するだけで(路上でやっているだけあって撮られるのを嫌がっている様子はなかったけど)、その後その様子をSNSに上げるためにか数秒スマホを操作しただけで夜の闇にに混じっていくのです。パーフォーマー当人と話したわけでもここで勝手な正義感を振りかざすわけでもないけど「路上で演奏してるオジサンいた〜♪」と写真付きでアップする前に、「撮っていいですか?」「SNSにあげていいですか?」の一言も言わない(土地柄もあるけど)、人の才能に敬意を表さないで自己顕示欲の肥やしにしてしまうのは、その人に対して失礼な話だと思う。ただこれは別に若い人に限った話ではなくて、ある程度年齢を重ねた人々にも言えることだということは強調しておきたい。実際、昨夜も年齢層で見れば偏ってはいなかったですし。
こういうところで拍手もできない、投げ銭もできない、人(やその人の才能)に敬意を表せないような人にはなりたくないものです。
先日の台風3号の影響で仕事が一本潰れましたが、その仕事の前日前々日とタイトな綿パンを穿いて立ち座り忙しなく動き回っていたので、ゆっくり内勤できるのは嬉しいですね。そういった意味では恵みの雨となりました。
こう蒸し暑いと電車の冷房はありがたいのですが、雨の日はそうとも言えず、雨や汗で身体を濡らせて乗ろうものならたちまち身体が冷えてしまい、元来腹の弱い自分などは腹が痛くなること必至なのです。これで通勤途中に何度電車を降りたことか…。雨の日はいつもより少し早めに家を出るので会社へ着く頃にはそれでトントンというわけです。実際導入しているのかいないのか、今後導入の予定があるのかないのか、冷房ではなく除湿機能があれば、もっと快適に過ごせるけど、所詮は大量輸送の公共交通機関だし、のぞみは薄そうです(別に輸送機関と「のぞみ」を掛けたわけではないですよ)。
このところ仕事が立て込んでいて、また書きたいネタはあれど話が膨らまず3週間弱ぶりの更新ということで、早くもサイトを設置してひと月も経つわけであります。「始めたばかりなので」という言葉も言い訳がましいものですが、このテキストエディタに向かって、道中も終わりも見通せないままキーボードの上に両手の指を躍らせるという時間を、まだまだルーチーンとして生活の中に組み込めてはいないようです。斯くは言いつつ主題もなく、それゆえヤマもオチもないこの状況を、それでも文字として紡ぎ起こし打ち込むことができるのは、実際のところどうかはともかく、テキストサイトのコンテンツとして文章を作っている成果に依るものであるように感ぜられます。まぁ「作る」と言っても、幼児がLEGOブロックを手当たり次第に組み合わせているようなもので、万が一意味のあるようなものであるとしても全て遊びの延長で、誰か何かの役に立つような、そんな大層なものではなく、御察しの通り得ることができるのは「自己満足」が関の山なのですけどね。
「自己満足」でも悪くわないでしょう。他者を満足させる必要があるとすれば......何だろう? ちょっと読むのに丁度良いような文字数を稼ぐことと、それをなるべく面白可笑しく書くことでしょうか。実際のところテキストサイトの閲覧者は「読むことに飢えている」のか「面白いテキストに飢えている」のか、それらとは別のものを求めいているのか、どうなんでしょうね。いずれにせよ「文芸」と形容するほどのものをやっているとも毛頭思ってはいないので、「これくらいで良いか」というレヴェルで自己満足できるようなテキストを書き続けていきたいと思います。